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■ひとつの工夫

■ひとつの工夫

膨大な参考書、過去問、問題集、教科書…
これらを前にすると小橋の言うような「頻回の復習」なんか出来るかー!って気が滅入る諸君もいるかも知れない。

勿論、ある問題を復習したい(脳に定着させたい)と思ったとき、何もご丁寧に「解き直す」必要は無い。

僕が普段から言っている、「問題のくびれ」を見抜く姿勢は身に付いただろうか?「問題のくびれ」とは、要するに該当問題を解く上で「通過障害」を自覚するようなポイントのことを言う。いわば解答上もっとも重要なポイントであり、諸君の学習上最も注意を払うべき事項である。

英文であれば、例えば文章読解のKeyとなる一文の文法・語法構造がちゃんと見抜けたか。あるいは知っていなければならなかった、Keyとなる語句の意味。化学であれば主題の化学反応式そのものが既知であるべきだった(覚えていれば解けた)、数学であればこの状況でどのような攻め方を思い付けば良かった(思い付けば解けた)、物理であればあの類題に帰着すれば良かった(と気付けば解けた)、古文であればこの助動詞の活用を面倒がらずに覚えていれば良かった(そうすれば解き直すまでもなかった)、など。まぁ、いくら例を挙げてもしょうがない。

復習は型を身に染み込ませるためにある。復習によって「問題のくびれ」への対処法を覚え、新規の問題に向かったときも同様の(類似の)対処を可能にするのである。

この習得を、手当たり次第に問題を解き、手当たり次第に復習する方法で目指したいならそれでもいい。しかし、まぁ時間が足りないのが受験生の常だ。どうすれば効率の良い復習が出来るだろうか?


僕は、何かを勉強しているとき、常にノートパソコンを手元に置く。そして

・新たに覚えたい(復習すべき)と思った知識
・再度見返したい本のページ、問題番号
・あとでクロスチェックしておきたいデータの見出し
・今学んでいることの要点

などを、どんどん入力していく。そして適当な量になったらプリントアウトして、カバンの中に放り込んでおく。これをちらっと読み返すだけでも当時の学習が「脳内再生」出来る。実は、二度目の理三受験のときもそうしていたし、今現在医学を学んでいるときも基本的には常にノートパソコンが手元にある。

このメモ習慣は、たぶん20年前から続いている。中高生の頃、例えば「生きもの地球紀行」というテレビ番組が大好きだったが、その手の番組を観るときはいつもノートを手に持っていた。今のようにネットで何でもかんでも検索できる時代ではないから、テレビで掛け流しの知識は文字通り宝であり、僕にはとても「一回観れば覚えられる記憶力」も無いわけで、面倒くさがりな僕でもこの手のメモを取ることは全く苦痛ではなかったのだろう。

別に受験生諸君にそうして欲しいとは言わないが、一冊のノートを手元に置いておくくらいはやって欲しい。そして「覚えておきたい知識」「復習すべき問題番号、ページ」などを書き込んでいこう。今後つまらないセンター試験対策の比重がますます増していくときに、「解ける問題まで解き直す必要はない」のであるし、「くびれさえ抑えておけば、解けなかった問題すら解き直す必要がないこともある」ことを、僕は少々遠慮がちに主張しておきたい。
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テーマ : 大学受験
ジャンル : 学校・教育

■いざ二学期!

■いざ二学期!

夏休みが終わる。「誰よりも勉強した」と胸を張って言えるだろうか。

各科目で苦手分野があれば、せめて今学期前半には修正しないと厳しくなるだろう。夏の模試の返却も始まるが、いくらその成績が良くても、今後一層の努力をしないのならばあっという間に「格下」に抜かれてしまうだろう。国公立医学部受験生ならばセンター試験の国語・社会科目にもそろそろ手を出し始めるべきだ。

さて、言うまでもないが、君たちが努力するのは君たち自身のためである。学校やご両親、親族・世間などの期待は当然高く、彼らは君たちの名門大合格を自分の手柄のように喜ぶかも知れないが、そしてそれが決して悪いことだとは言わないが、君たちは断じて彼らを喜ばせるために奮闘しているわけではない。諸君自身の、一度きりの人生を豊かにするためだ。

君たちが二十歳前後という高い活動力と感受性に恵まれる時期にあって、狭い教室で参考書を眺め、計算問題を解き、単語を覚え、模試での成績に一喜一憂している現実に、決して落胆すべきではないし自嘲すべきでもない。確かに、微積分が必要な職業に就く人は諸君でも極少数派であろうし、元素周期表や電気陰性度を忘れてしまっても何ら問題ない人生を送る人がほとんどだろう。古典助動詞の活用を忘れたところで誰が諸君を責めるだろう。

しかし、君たちは決して名門大学に入るための対価としてのみそれらを学んでいるのではない。隙のない論理力を鍛え、言葉を正確に運用し、知識の集積・運用法を学び、確実迅速な処理能力を身に付け、バランスの取れたコミュニケーション能力を叩き込む。これは知的エリートの基本的な素養であり、難関大学受験を体験しなかった人間にはなかなか習得し得ない素養であろう。

しかし、受験のメリットはそれだけではない。僕の周囲で化学に無縁の生活を送っている人々が「化学をちゃんと勉強しておけば良かった」と発言するのは決して珍しいことではない。それは、ひょっとすると門外漢ならではの甘い幻想ゆえかも知れないが、家族の健康や食の安全、環境問題、生き物の飼育などに少しでも関心を抱く人々にとって、受験の理科科目は彼らの素朴な知的好奇心を満たすに十分な視界と忠告を与えてくれる。無論、このことは理科に留まらない。受験科目のほとんど(漢文や数学に至るまで!)が現代社会と決して無縁ではない。いや、何々が役に立つ/立たないというしみったれた損得勘定を抜きしても、新しい知識を得ること自体が素晴らしい喜びではないだろうか。

ヒトの本質として驚異的な知的好奇心が挙げられる。これは何も知的階級に所属する人々の専売ではない。「受験勉強で学んだことは無駄ばかりだった」などと自嘲気味に批評する人が珍しくないが、彼らは自分がその受験勉強を活かそうともせずに不毛な青春を送った無能ぶりを臆面もなく告白しているに過ぎない。(ところで、あの文豪菊池寛ですら「数学を学んで役立つことは三角不等式だけだったが、あれなら猫でも知っている」と言っているし、小説の神様と賞賛された志賀直哉は「日本語は二流言語だ。フランス語を国語に採用してはどうか。それなら小学生でも源氏物語を理解出来るだろう」と本気で戦後の政府に働きかけている。ま、これは笑い話。)

君たちの置かれている状況――奮闘努力して成績を高め、怠惰な自分を叱咤激励する日々――は確かに身体的にも精神的にも大変なストレスだろう。不安もあろうし疲労もあるだろう。それは僕にもよく分かる。しかし、僕が君たちの努力に期待し、不勉強を責め、成績の上下に深く関心を抱いているのは、それが僕の得になるからではない。それに「君たちを合格に導いたのは僕だ」等と偉そうなことを嘯くつもりもない。同様に、君たちが講義の復習をしなくても、勉強しないで遊んでいても、そして来年の春に当然の結果が待ち構えていても、僕は一切損しない。ろくに復習しない奴は落ちればいい。

僕がこれだけしつこく勉強の仕方、勉強の意味を説明し、君たちの合格を願っているのは、同じような苦労を味わってきた先輩として「それが君たちの人生を豊かにすることを心の底から信じているから」だ。辛い受験生活の意義を知っていて、かつそれに感謝する生活を現在、そしてこれからも送っているからだ。その喜びを君たちに伝えたい。

この世の中、苦労が必ずしも報われるとは限らない。難関大学受験も同様に現実は残酷で、どんな受験生にも「絶対」はない。だが、それで怯んでいてはだめなのだ。

はっきり言って受験ほどその苦労の報われやすいものはない。正しい勉強をすれば誰でも成績は上がり、それは志望校合格の可能性をそのままリニアに高めてくれる。こんなに生易しい苦労は実に珍しい。従って「受験で一度も失敗のない人=挫折を知らない人は社会に出ると弱い」という批判は決して間違っておらず、報われやすい努力しかしてなかった人間が社会の容赦ない現実に萎縮するのも仕方ない話ではある。が、どんな努力をもしてこなかった人間とは比べるべくもない。

苦労が報われる人間は決して諦めない。どんなに不安に襲われても弱音を吐かない。そして悩みを抱いてもただ熱意がある「ふり」をするだけだ。ただ一瞬一瞬の努力を実直に、大切に積み重ね続けていくことしか解決がないことを知っているからだろう。

あらゆる分野で一流と讃えられる人々が大衆と違うのは、「自分に誓える人間である」ことだ。君たちの成績向上は高校との約束でもなければご両親との約束でもない、無論僕との約束でもない。君たち自身との契約だ。それをいつ破棄しても誰も責めない、誰も損をしない。難関受験から逃げても人間は平和に生きていける。ただ、自分が「一流の学徒」になれないという現実を静かに受け入れればいいだけの話である。

僕が言いたいのは、結局、今はただ自分のために机に向かおう!ということだ。来春合格すれば喜びを分かち合いたい。不合格の時は、僕は君たちの不勉強・努力不足を責めたくない。それは君たちの方こそそうだろう。

■計算テスト

■計算テスト

前回CAで抜き打ちで課した計算テストの結果が酷すぎる。20分もあれば満点が取れるだろうというセットを15分で解かせたが(つまり許容ラインは75%)、大半の諸君が30%程度であった。上位層ですら60%そこそこといった有様だ。

こんなにもつまらない、小橋塾で教える化学の本質からは掛け離れた低次元の計算力でこんなにも点差が開くという事実を忘れるな。どんなに深く酸塩基理論を理解していても、気体諸法則をマスターしていても、立式にまごついていたらそれで終了なのだ。(正確に言えば、立式にまごつくということはマスターしていないことの証左である)

化学では問題を見た瞬間に「与えられた情報からどのような式を立てればいいのか」を閃かなければ話にならない。諸君の答案を見ていると何と無駄な作業をして時間を浪費していることか!

「意識調査」も熟読させて貰ったが、大半の諸君が「(解答)時間を意識して勉強して来なかった」という反省を書いている。なんて情けない!化学に限らず、受験勉強は速く解けてなんぼなのだ。

理三を始め難関大の学生が他と決定的に違うのは、この「速さ」である。どんな試験でも理三生が「時間が足りない」というのを聞いたことがない。東大出身でなければ東大受験生を教えられないとは言わないが、東大を受験したことのない者にはこの時間的危機感を受験生に伝えられるものか少々不安に思う。

当たり前だが、この「速さ」を決める要因の大半は「持って生まれたもの」ではない。訓練である。水泳選手が一般人には考えられないほど速く泳げるのも、ピアニストの指が目にも止まらぬほどの速さで動くのも、野球選手が時速100kmを超えるボールの球道を見極められるのも、全て訓練がものを言う。時間を意識した演習をこなさなければ解く速さを磨くことなど絶対に不可能である。

逆に、日頃からちんたら解くのが習慣になっていると、その習慣こそが諸君の頭脳の回転速度を規定してしまう。緩慢に解くのが当たり前になり、どんなに焦っても速くならないという、致命的な末期症状になりかねない。
時間は決して万人に共通の速さで流れるものではないのだ。

僕の講義が世間的な予備校では考えられないほど速いのも、諸君の頭の回転を速めたいからである。話すのが遅い人とばかり話していると、自分の頭まで遅くなる。

ちんたら解くくらいなら寝てしまえ!その方がなんぼかマシだ!

と僕が言ってきたのはそういう理由からだ。
配布した特製計算ドリルを繰り返し解いて欲しい。化学の立式が手に染み込むまで。

■勉強量

■勉強量

最近、「○○問題集を一日何問やればいいですか」とか、「一問何分くらいでやればいいですか」という質問が多く寄せられているので全員に送信しておく。

結論から言えば、「そのような勉強量の計り方」はもう止めて欲しい、ということだ。

勉強は「ここまでやれば十分」というものではないことはご存じだろう。君たちが決して楽勝ではない志望校に合格するために必要な勉強量を一言で言えば、「全ての時間を最大限の集中力で解きまくる量」である。

例えば僕がセンター社会に掛ける時間は一日15分で十分だという場合、「その900秒間を死ぬほど集中して必死に向かい合えば」という意味だ。

君たちに常に意識して欲しいのは、「本番での焦り」である。浪人ならば重々承知だろう。現役ならば模試を思い浮かべればいい。「マゴマゴしている暇はない、一刻も早くこの問題を片付けなければ!」「この問題が解けなければ落ちるかも知れない」「時間が欲しい!」そういう焦りを片時も忘れるべきではない。

例えば化学の演習に1時間を割けるのであれば、この1時間に何問解ければ十分だと考えるのではなく、この1時間を本番のつもりで問題集を解きまくるのである。その結果が五問だろうと十問だろうと大したことではない。
君たちに必要なのは、本番と同じ頭の使い方をし続けることだから。そういう意味で、僕は各問題の制限時間を決めて机に向かったことはない。enaの歴代の生徒達も同様だ。持てる時間の全てで本気になるしかない。

どんなに難しい問題を正解したとしても、ちんたら解いているのではそれは受験勉強ではない。問題集の問題をその日は一問しか解けなくても、その時間の限り精一杯頭脳を酷使していたのなら、それは決して無駄な勉強ではない。

諸君がいまこなしている勉強法が、より効率的なものになるよう助力は惜しまない。不安があればすぐに相談して欲しい。

■過去問を座右の書にせよ

■過去問を座右の書にせよ

今度の授業で回収する「進路意識調査」について。
僕が一番知りたいのは諸君が過去問をどれくらい「読み込んでいるか」だ。

諸君が勉強する目的は二つある。ひとつは「賢さを身に付けること」(知識ではなく、賢さだ)。もうひとつが「志望校に受かること」。

本当は前者が重要なのだが、いくら賢くなっても志望校に受からないのでは意味がない、そう諸君は思うだろう。諸君の身になってみれば当然だ。そうであれば尚更過去問を研究しなければならない。

志望校に受かりたければ、志望校が自分に何を望んでいるかを早急に確認しなければならない。その最高にして唯一の資料が過去問だ。浪人であれば現時点で過去5年分は「解き直し」ていることが望ましい。解くだけでは不十分なのだ。出来れば五回も十回も解き直すべきだ。

市販の問題集をいくらコツコツ解き進めていても、過去問をろくに見ていないのであれば、富士山に登ろうという人間がエベレスト征服に必要な体力や道具を揃えているようなものだ、といえば分かるだろうか。あるいは今夜の晩ご飯を作ろうという人間が、とりあえずスーパーにある全ての食材を買おうとするものだ、とか。

過去問を十年、十五年分も解けば、実は似たような出題が繰り返されていることに気付くだろう(過去問を研究したことがない者には驚愕だろうが)。新傾向出題のリーダーである東大や京大ですらそうなのだから、それ以外の大学は驚くほど「同じようなことばかり」出題されている。もちろん、「同じようなこと」といっても全く同じではなく、繰り返し復習することで初めて類似点に気付けるようなものも多いのだが。

東大に余裕を持って受かる受験生は、東大の過去問が驚くほど頭の中に入っている。○○年の数学第2問はあれ、その翌年の化学の第1問のテーマはあれ、というように。はっきり言おう、来春の合格を悲願とするならば早急に本屋に走れ!古本屋で古い過去問を入手せよ!そして暇さえあれば読め!一度解いたのであればパラパラと読み返すだけでもいい。一刻も早く、一回でも多く!

*

ま、こういうことはいつも授業中に言っていることだ。
既に配布した資料にも、メールにも、繰り返し書いてきたはずだ。

例年、僕のアドバイスを即座に実践する者もいれば、いつまで経っても実行に移さない者もいる。どちらが合格するかは言うまでもないだろう。僕は今までたくさんの難関大受験生をこの目で見てきたのだから。
プロフィール

小橋哲之

Author:小橋哲之
小橋塾塾長

外科医

三児の父

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