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■受験生の過ち(5)

■受験生の過ち(5)

★ノートまとめを勉強と言い切る欺瞞

女生徒に多いが、ノートを綺麗にまとめることに夢中になっている者が多い。どうしてもやりたければやっても良いが、それが勉強だと思わないで欲しい。

カラフルな表記にしろ、正確な図にしろ、そんなものにエネルギーを割いたところで成績は上がらない。ノートは自分が復習するときに最低限の内容をメモしてあればそれで十分に役割を果たしたことになる。

「東大生のノートは美しい」等という本が売れているが、あれはだ。僕が今まで指導してきた生徒の大半が、「本人しか解読できないほど乱雑で、しかし情報量豊かなノート」を作っていた。

もちろん、東大生は毎年3000人以上生まれるわけで、その1%くらいは煌びやかなノートを作ってきた者もいるだろう。しかし、彼らは「余力」でやっているのだと考えて欲しい。東大受験に対して余裕があるからこそ「美しいノート」を作る暇もあるわけだ。

余裕のない者は、そんな下らない作業のために机に向かって喜んでいてはダメなのだ。そんな時間があれば一問でも多く問題を解け、復習しろ。

予備校にしても高校にしても、何色ものボールペンを必携させて細やかに板書を指示している講師って、恥ずかしくならないのだろうか。ならないんだろうな。だって、生徒がそれを望むんだもの。馬鹿な生徒が馬鹿な講師を作るわけ。

(注)ノートは汚くてもいいが、字が雑なのは問題だ。成績と字の丁寧さには必ず正の相関がある。
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■受験生の過ち(4)

■受験生の過ち(4)

★過去問をいつまで経っても開かない

バッカじゃねーの?と言ってやりたい。

以前の記事「過去問を座右の書にせよ」に記したので、それを早急に活用すべきであることはもう繰り返さないでおく。

「なんで一番最近のやつすら解かないの」と訊くと、「まだ基礎力が十分でないと思うので…」、酷い頓珍漢になると「本番直前に力試しするために取っておこうと思って…」という答えがしばしば返ってくる。

世の中には「力試し用に残しておけ」と指示する指導者もいるらしい(というか、いる。)。もう目も当てられない。

かつての生徒(医学部志望)の話だが、相談専門の予備校スタッフから「自分がいいと言うまで過去問は買うな」と指示され、年末年始になって初めて「ようし、買え!そして解け!」と、10校もの赤本を買わされるという愚挙の犠牲者になったものがいた。「先生ぇ~どうしたらいいですか」と泣きながら僕の元へやって来たのだった。

指導力云々以前の問題だ。無知から来るものとはいえ、犯罪行為に等しい振る舞いではないか(それを真に受けてしまう生徒も悪いのだが、そういった職業に就く人間は高校生を翻弄するのが非常に巧いものだ)。

とりあえずその中から傾向の似た大学をグループ分けし、限られた時間の中で最も効果的と思われる過去問をピックアウトし、急いで解かせた。その生徒は何とか第二志望校への合格を果たせたが、いやー危なかったと冷や汗をかいたものだった。

■受験生の過ち(3)

■受験生の過ち(3)

★整理された知識を身に付けることが勉強だという勘違い

受験生、頭を使わない者が多すぎる!
無機化学は暗記?何をたわけたことを!

知識ってのは電話帳のデータじゃないんだ。そして、市販の参考書に載っているような「綺麗に整理されうるもの」でも断じてない!

「知識を整理する」などと簡単に言ってもらっちゃ困る。そもそも「整理」できる程度の知識なんぞろくな価値がない。それなのに「整理された」知識を丸暗記して嬉嬉とする受験生の多いこと!

小橋塾では整理された知識など微塵も要求しない。

本当に価値のある知識とは、様々な事実の間にある有機的なつながりによって、複雑なネットワークを形成したものだ。臨機応変に、つまり状況に応じて瞬時に取捨選択し、必要なときに必要な形にアレンジされて、あふれ出るような形態で格納されたものなのだ。

英単語を例に取れば、「見たことのある単語」、「文脈によっては意味を推測できる」単語をいくら身に付けたところで、本当の意味での語彙とは呼べないだろう。「文脈が無くても意味が分かる」、「英作文に自信を持って使える」、そして究極的には「会話に使える」レベルまで、つまりよりアクティブな形態で把握してこそ語彙であろう。

このような形態で知識を獲得したければ、綺麗に整理された教材などほんの参考程度にしかならない。受験化学を学ぶ者が受験化学の知識を習得するためには、そんな教材を覚えただけで嬉嬉としているようでは二流も二流、お話にならないといって言いものだ。

では、どのようにすればよりアクティブで、使える知識を身に付けられるだろうか?

最上の手段はそのようなアクティブな知識を持つ者の臨機応変の口頭試問に対し、即座に返答する練習を積むことである。

小橋塾では『無機特訓』という無料イベントを既に二回行っている。ぶっ続けで六時間、僕が徹底的に質問を与え、そこから更に話を膨らませ、膨大な情報の引き出し方を伝えたいと願ってのものである。

大上段に構えて恐縮ではあるが、学習とは、教育とは、本来そういうものではないだろうか。

そのような指導者を持たない受験生であれば、仕方ない、「綺麗に整理された」参考書など即刻破り捨て、入試問題を解こう。それも単元別に配列されたものではなく、入試さながらの、全範囲から攻撃されるような問題演習を積もう。それしかない。

小橋塾の演習講座は常に全範囲から塾生を試している。通信添削も同様だ。諸君の挑戦を待つ。

■受験生の過ち(2)

■受験生の過ち(2)

★難しい問題集→成績向上という信仰

「今どういう勉強してるの。」と聞くと、こちらが驚くほど難解な問題集をスラスラ口にする受験生が少なくない。「驚くほど」というのは「現時点での成績を踏まえると」という意味だ。

駿台全国模試で偏差値60に届かない者が、「『新演習』と『理系の化学100選』と『標準問題精講』と『二見のハイレベル問題集』と…」とよどみなく答えてくれる。

「ちょ、ちょっと待って。それ解いたの?」と遮ると「いいえ。」

しばし沈黙して「たとえば『重要問題集』は解いたの?」と聞くと「持ってはいるけどやってません」。「ああそう。じゃあ、これ『重要問題集』の問題だけど、解いてみて」というと手が動かない。見事に手が動かない。

僕が『重要問題集』を引き合いに出したのは、これが一番優れた問題集だからと言うのではなく、一番レベルの低いものだと言いたいのでもなく、このように「問題集の蒐集に夢中になっている」受験生の多くが、不思議とこの問題集を持っていることを口にしない傾向にあるからだ。

僕の元に相談として寄せられるメールは、ほとんどが東大理三を始めとする旧帝大医学部を志望する人たちからのものだ。彼らは『東大理三』などの合格体験本から拾い集めたハイレベル問題集を収集することが本当に好きらしい。まぁそういう受験生がいるお陰でこれだけ沢山の問題集が乱立しているわけだけど。

はっきり言おう。理三合格者が(最後に)使った問題集を解いたくらいで理三に合格するなら苦労しない。ましてや、それを解きもせず買い揃えるなど愚の骨頂だ。

勉強ってのはそういうものじゃない。薄々分かっているクセに中毒のように「より優れた問題集はないか…」と探すのはもう止めにしないか。

■いざ二学期!

■いざ二学期!

夏休みが終わる。「誰よりも勉強した」と胸を張って言えるだろうか。

各科目で苦手分野があれば、せめて今学期前半には修正しないと厳しくなるだろう。夏の模試の返却も始まるが、いくらその成績が良くても、今後一層の努力をしないのならばあっという間に「格下」に抜かれてしまうだろう。国公立医学部受験生ならばセンター試験の国語・社会科目にもそろそろ手を出し始めるべきだ。

さて、言うまでもないが、君たちが努力するのは君たち自身のためである。学校やご両親、親族・世間などの期待は当然高く、彼らは君たちの名門大合格を自分の手柄のように喜ぶかも知れないが、そしてそれが決して悪いことだとは言わないが、君たちは断じて彼らを喜ばせるために奮闘しているわけではない。諸君自身の、一度きりの人生を豊かにするためだ。

君たちが二十歳前後という高い活動力と感受性に恵まれる時期にあって、狭い教室で参考書を眺め、計算問題を解き、単語を覚え、模試での成績に一喜一憂している現実に、決して落胆すべきではないし自嘲すべきでもない。確かに、微積分が必要な職業に就く人は諸君でも極少数派であろうし、元素周期表や電気陰性度を忘れてしまっても何ら問題ない人生を送る人がほとんどだろう。古典助動詞の活用を忘れたところで誰が諸君を責めるだろう。

しかし、君たちは決して名門大学に入るための対価としてのみそれらを学んでいるのではない。隙のない論理力を鍛え、言葉を正確に運用し、知識の集積・運用法を学び、確実迅速な処理能力を身に付け、バランスの取れたコミュニケーション能力を叩き込む。これは知的エリートの基本的な素養であり、難関大学受験を体験しなかった人間にはなかなか習得し得ない素養であろう。

しかし、受験のメリットはそれだけではない。僕の周囲で化学に無縁の生活を送っている人々が「化学をちゃんと勉強しておけば良かった」と発言するのは決して珍しいことではない。それは、ひょっとすると門外漢ならではの甘い幻想ゆえかも知れないが、家族の健康や食の安全、環境問題、生き物の飼育などに少しでも関心を抱く人々にとって、受験の理科科目は彼らの素朴な知的好奇心を満たすに十分な視界と忠告を与えてくれる。無論、このことは理科に留まらない。受験科目のほとんど(漢文や数学に至るまで!)が現代社会と決して無縁ではない。いや、何々が役に立つ/立たないというしみったれた損得勘定を抜きしても、新しい知識を得ること自体が素晴らしい喜びではないだろうか。

ヒトの本質として驚異的な知的好奇心が挙げられる。これは何も知的階級に所属する人々の専売ではない。「受験勉強で学んだことは無駄ばかりだった」などと自嘲気味に批評する人が珍しくないが、彼らは自分がその受験勉強を活かそうともせずに不毛な青春を送った無能ぶりを臆面もなく告白しているに過ぎない。(ところで、あの文豪菊池寛ですら「数学を学んで役立つことは三角不等式だけだったが、あれなら猫でも知っている」と言っているし、小説の神様と賞賛された志賀直哉は「日本語は二流言語だ。フランス語を国語に採用してはどうか。それなら小学生でも源氏物語を理解出来るだろう」と本気で戦後の政府に働きかけている。ま、これは笑い話。)

君たちの置かれている状況――奮闘努力して成績を高め、怠惰な自分を叱咤激励する日々――は確かに身体的にも精神的にも大変なストレスだろう。不安もあろうし疲労もあるだろう。それは僕にもよく分かる。しかし、僕が君たちの努力に期待し、不勉強を責め、成績の上下に深く関心を抱いているのは、それが僕の得になるからではない。それに「君たちを合格に導いたのは僕だ」等と偉そうなことを嘯くつもりもない。同様に、君たちが講義の復習をしなくても、勉強しないで遊んでいても、そして来年の春に当然の結果が待ち構えていても、僕は一切損しない。ろくに復習しない奴は落ちればいい。

僕がこれだけしつこく勉強の仕方、勉強の意味を説明し、君たちの合格を願っているのは、同じような苦労を味わってきた先輩として「それが君たちの人生を豊かにすることを心の底から信じているから」だ。辛い受験生活の意義を知っていて、かつそれに感謝する生活を現在、そしてこれからも送っているからだ。その喜びを君たちに伝えたい。

この世の中、苦労が必ずしも報われるとは限らない。難関大学受験も同様に現実は残酷で、どんな受験生にも「絶対」はない。だが、それで怯んでいてはだめなのだ。

はっきり言って受験ほどその苦労の報われやすいものはない。正しい勉強をすれば誰でも成績は上がり、それは志望校合格の可能性をそのままリニアに高めてくれる。こんなに生易しい苦労は実に珍しい。従って「受験で一度も失敗のない人=挫折を知らない人は社会に出ると弱い」という批判は決して間違っておらず、報われやすい努力しかしてなかった人間が社会の容赦ない現実に萎縮するのも仕方ない話ではある。が、どんな努力をもしてこなかった人間とは比べるべくもない。

苦労が報われる人間は決して諦めない。どんなに不安に襲われても弱音を吐かない。そして悩みを抱いてもただ熱意がある「ふり」をするだけだ。ただ一瞬一瞬の努力を実直に、大切に積み重ね続けていくことしか解決がないことを知っているからだろう。

あらゆる分野で一流と讃えられる人々が大衆と違うのは、「自分に誓える人間である」ことだ。君たちの成績向上は高校との約束でもなければご両親との約束でもない、無論僕との約束でもない。君たち自身との契約だ。それをいつ破棄しても誰も責めない、誰も損をしない。難関受験から逃げても人間は平和に生きていける。ただ、自分が「一流の学徒」になれないという現実を静かに受け入れればいいだけの話である。

僕が言いたいのは、結局、今はただ自分のために机に向かおう!ということだ。来春合格すれば喜びを分かち合いたい。不合格の時は、僕は君たちの不勉強・努力不足を責めたくない。それは君たちの方こそそうだろう。

■受験生の過ち(1)

■受験生の過ち(1)

小橋塾開校以来、外部の方からも受験相談のメールをしばしば頂いている。多く高校二年生、あるいは自宅浪人を選択されている方たちだ。そのようなメールでのやりとりを通じて浮かび上がる危機感(もちろん僕の中で)を徒然に書いておこう。

★参考書の評判ばかり気にする人
「お薦めの参考書を教えて欲しい」そういう問い合わせが一番多い。

はっきり言うが、そんなことを気にする位なら目の前にある参考書や問題集(きっとそれらだって一定の評価があるものだろう)を一回でも多く解き、復習した方が遙かにマシだ。

世の中には得意げになって「○○の問題集はいいよ」「△△もオススメ」だなんて言う人が多いが、そういうことばかり言っている人間は大きく分けて三種類いる。

(1)最近受験が終わったばかりで、自分の勉強法が正しいことを誇りたい人。
(2)自分は解いたことがないくせに2chや受験情報本などで仕入れた知識をひけらかして得意になっている人。
(3)受験生。


(1)は、まぁ、この中では唯一耳を傾ける価値がある。少なくともそのような参考書や問題集を使って合格を勝ち取った事実はあるのだから。

(2)が一番有害。塾や予備校の職員(not講師)に多いが、自分はそんな問題集を触ったこともないのに「東大の理科対策ならこれが定石」などと誇らしげに言う。「あの問題集が終わったら次はこれ、それが終わったら過去問を三年分解いて…」などと、気の毒な生徒達を翻弄している。「この問題集を完璧にしたら東大で○点取れるよ」なんて言う。「じゃあその問題集を完璧にして○点取って来て下さい」と言ってやりたい。

(3)が一番不幸。受験生が周囲の受験生にアドバイスをする。それ自体は悪いことではないが、論評に夢中になっていて自分の成績を正視できないとなると末期症状だ。

当塾の生徒には「余計な雑音に翻弄されることなく、目の前にある課題を粛々とこなせ」と指導している。その上で弱点が明らかになれば随時それを補強する手だてを考えればいい話。

■計算テスト

■計算テスト

前回CAで抜き打ちで課した計算テストの結果が酷すぎる。20分もあれば満点が取れるだろうというセットを15分で解かせたが(つまり許容ラインは75%)、大半の諸君が30%程度であった。上位層ですら60%そこそこといった有様だ。

こんなにもつまらない、小橋塾で教える化学の本質からは掛け離れた低次元の計算力でこんなにも点差が開くという事実を忘れるな。どんなに深く酸塩基理論を理解していても、気体諸法則をマスターしていても、立式にまごついていたらそれで終了なのだ。(正確に言えば、立式にまごつくということはマスターしていないことの証左である)

化学では問題を見た瞬間に「与えられた情報からどのような式を立てればいいのか」を閃かなければ話にならない。諸君の答案を見ていると何と無駄な作業をして時間を浪費していることか!

「意識調査」も熟読させて貰ったが、大半の諸君が「(解答)時間を意識して勉強して来なかった」という反省を書いている。なんて情けない!化学に限らず、受験勉強は速く解けてなんぼなのだ。

理三を始め難関大の学生が他と決定的に違うのは、この「速さ」である。どんな試験でも理三生が「時間が足りない」というのを聞いたことがない。東大出身でなければ東大受験生を教えられないとは言わないが、東大を受験したことのない者にはこの時間的危機感を受験生に伝えられるものか少々不安に思う。

当たり前だが、この「速さ」を決める要因の大半は「持って生まれたもの」ではない。訓練である。水泳選手が一般人には考えられないほど速く泳げるのも、ピアニストの指が目にも止まらぬほどの速さで動くのも、野球選手が時速100kmを超えるボールの球道を見極められるのも、全て訓練がものを言う。時間を意識した演習をこなさなければ解く速さを磨くことなど絶対に不可能である。

逆に、日頃からちんたら解くのが習慣になっていると、その習慣こそが諸君の頭脳の回転速度を規定してしまう。緩慢に解くのが当たり前になり、どんなに焦っても速くならないという、致命的な末期症状になりかねない。
時間は決して万人に共通の速さで流れるものではないのだ。

僕の講義が世間的な予備校では考えられないほど速いのも、諸君の頭の回転を速めたいからである。話すのが遅い人とばかり話していると、自分の頭まで遅くなる。

ちんたら解くくらいなら寝てしまえ!その方がなんぼかマシだ!

と僕が言ってきたのはそういう理由からだ。
配布した特製計算ドリルを繰り返し解いて欲しい。化学の立式が手に染み込むまで。

■意識調査

■意識調査

医学の世界には認知療法や行動療法というものがある。いずれも心理学に基づいて、ヒトの行動や感情を良い方向へコントロールしようというものだ。「療法」という名前が付いているが、実際は僕自身を含め、日常を変容させたい、より良い生き方をしたいと願う者にも重要な示唆を与えてくれるシステムである。

成績を伸ばしたい、
志望校に受かりたい、
論理的に考える習慣を身に付けて賢くなりたい。


そう願わない受験生はいない。それなのに、その願いに向かってポジティブに日常を送れる受験生は驚くほど少ない。一番簡単な例で言えば、「長時間机に向かっていられない」など。

分かっちゃいるけど止められない、
分かっちゃいるけど始められない。


そういう受験生の尻を全力で突き飛ばすのが僕の仕事だ。ただの化学講師に過ぎない僕であるが、塾生の化学得点力を鍛えればそれでいいとは微塵も思わない。僕の職務は化学試験で点を取るテクニックを教えることではない。うわべだけで「化学って面白いだろ」「こうやれば酸塩基の問題は楽に解ける」そんなことを教えたって生徒は賢くならない。

たかが受験勉強だ。賢くなれば誰だって、どんな科目だって、十分な成績を取れるようになる。

生徒が賢くなるためには、生徒自身が賢くなりたいと願わなければならない。押し付けられた宿題を、押し付けられた解法で解いて、それで喜んでいるような受験生はただのマヌケだ。

賢くなりたいと塾生が願うようになるためには、講師自らが賢くなりたいと願わなければならない。講師が必死に学んでいる姿勢を見せ付けなければならない。世の中の塾講師・予備校講師のなんと堕落していることか。

話が逸れたが、しかし、賢くなりたいと願ったところで、受験生の多くは腰が重い。やれば報われる努力をしようとしない。自分に甘いのだ。

自分に甘い受験生にいくら口先で叱咤激励して「やれば出来るよ!」なんて言ったって無駄無駄。そう断言できるのは、僕自身が自分に甘い二流の受験生だったから。それを旧ena大学受験部という鍛練の場で思い知らされたから。一流の大学に受かりたければ一流の受験生にならなければならないことを、身を以て思い知らされたから。

一流の受験生になりたければ、一流の教材を使い、一流の流儀でぶちのめされ、一流のライバルが焦る中で、一流の勉強量を確保するしかない。

全国の一流を目指す自宅浪人諸君!一流を知れ!


さて、最初の話に戻ろう。
行動や意識を変革したければ、自らの行動や心理状態を客観的に知覚した上で、その対処法を自ら考えるのが一番効果的だ。

小橋塾では「意識調査」という紙を配布している。志望校や志望理由を書かせ、志望校合格のために何が障壁となっているか、何を変えなければいけないか、どんな受験生だって薄々気付いている、自覚している内容を自分の筆で書かせるのである。

それを見返せば、自分がいかに怠惰な生活を送っているかがよく分かる一方、漠然とした不安もモトを正せば大した問題ではないこともよく分かるだろう。自分が今は何をすべきかが明らかになり、悩んでいる暇はないことも分かるだろう。

「分かっちゃいるけど止められない」者が、もし本当に止めたいのなら、鬼畜のような指導者に懺悔することだ。

■通信添削:開設!

■通信添削:開設!

ご要望にお応えして、九月より小橋塾特製通信添削講座を始めます。

★最高難度化学演習
小橋塾の看板講座であり、東大理三その他難関大学志望生に最適の演習問題です。過去問およびオリジナル作問による、化学的思考力や情報処理能力を徹底的に鍛える良難問揃いです。問題は違いますが同じコンセプトの講座から、かつて理三や京大医学部、阪大医学部、慶應医学部に数え切れないほど合格者を輩出しました。小橋塾で配布している補助教材、小テストなども随時添付します。

★最高難度生物演習
化学CX講座に相当する生物の演習・添削を行います。実験型、思考型問題を中心に東大即応型の記述力を鍛えます。生物の力試しをしたい方の挑戦を待っています。

★最高難度英語演習
旧ena大学受験部で最高難度の生徒(特に灘生)から高い支持を得た富澤先生によるオリジナル課題を、先生自ら厳しく添削して頂けます。富澤先生は旧enaの学力判定テスト作成を始め、その作問能力・添削能力は折り紙付きの実力者です。英語講座は発展演習とベーシック演習のふたつ用意しました。

・英語発展演習
化学演習と同等レベルであり、最高レベルの受験生が必ず満足する東大即応型の演習です。英語を通じて「考える力」を鍛えたい生徒に強く推奨!

・ベーシック演習
国立大学医学部系の難問揃いで、私の目から見ても「…これがベーシック?」という、質・量共に十分な、大変優れた教材です。

★最高難度数学演習
現在打ち合わせ中です。しばらくお待ち下さい。

詳細ご希望の方は小橋までご連絡下さい。

■勉強量

■勉強量

最近、「○○問題集を一日何問やればいいですか」とか、「一問何分くらいでやればいいですか」という質問が多く寄せられているので全員に送信しておく。

結論から言えば、「そのような勉強量の計り方」はもう止めて欲しい、ということだ。

勉強は「ここまでやれば十分」というものではないことはご存じだろう。君たちが決して楽勝ではない志望校に合格するために必要な勉強量を一言で言えば、「全ての時間を最大限の集中力で解きまくる量」である。

例えば僕がセンター社会に掛ける時間は一日15分で十分だという場合、「その900秒間を死ぬほど集中して必死に向かい合えば」という意味だ。

君たちに常に意識して欲しいのは、「本番での焦り」である。浪人ならば重々承知だろう。現役ならば模試を思い浮かべればいい。「マゴマゴしている暇はない、一刻も早くこの問題を片付けなければ!」「この問題が解けなければ落ちるかも知れない」「時間が欲しい!」そういう焦りを片時も忘れるべきではない。

例えば化学の演習に1時間を割けるのであれば、この1時間に何問解ければ十分だと考えるのではなく、この1時間を本番のつもりで問題集を解きまくるのである。その結果が五問だろうと十問だろうと大したことではない。
君たちに必要なのは、本番と同じ頭の使い方をし続けることだから。そういう意味で、僕は各問題の制限時間を決めて机に向かったことはない。enaの歴代の生徒達も同様だ。持てる時間の全てで本気になるしかない。

どんなに難しい問題を正解したとしても、ちんたら解いているのではそれは受験勉強ではない。問題集の問題をその日は一問しか解けなくても、その時間の限り精一杯頭脳を酷使していたのなら、それは決して無駄な勉強ではない。

諸君がいまこなしている勉強法が、より効率的なものになるよう助力は惜しまない。不安があればすぐに相談して欲しい。
プロフィール

小橋哲之

Author:小橋哲之
小橋塾塾長

外科医

三児の父

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