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■来年度、受験する方へ(3)

■来年度、受験する方へ(3)

「どの問題をどの程度こなしたらいいのか」

この判断の匙加減が難しい。小橋の場合、二度の東大受験では明らかに全科目の理解度・習熟度が異なっていたし、それを当時使用していた教材やノートなどを通じてある程度評価することも出来るので、例えば理科一・二類に合格するならこの程度、理三・京医を受験するならあの程度、という感覚を塾生に伝えては来た。

が、そうはいっても塾生にとっては抽象的アドバイスに変わりはなく、テキストや赤本の問題を逐一持ってきては「この問題の答えはこんな感じでいいですか」「先生だったらどう答えますか」のような具体的な目星を求める者も多かった。赤本の答えも、僕から見て「ここまでは要求されてないでしょ!」と思うものもあれば、「いやいや、全然不十分でしょ!」と突っ込みたくなるものもある。

この匙加減は本当に感覚的なものだ。

特に僕の場合、化学に限らず受験勉強は体育だと思っているので、「基礎を固める」ことは「反射的に方針が立ち、解法を想起できる」ことだと指導しているのだが、この「反射的に」という言葉もまた抽象的であり、生徒を惑わしたこともあるようだ。

『基礎が固まった生徒』というのはどういう生徒を指すのだろう。
例えば数学。全分野の教科書例題クラス(章末問題クラスではないぞ!)で、一目見たときに「これから何をすべきか」「どのような道具=定理や公式を使えばいいか」という方針が豊かに溢れ出すことを言う。

与えられた条件、数式を見たときに、「この問題を解くには相加相乗平均がキモだな」「これは分子を有理化すればいいな」と思い浮かぶ。化学であれば「これは状態方程式よりもボイルの法則だな」「それはソルベー法の類似反応だね」と閃く。

そして、教科書の太字クラスの重要単語はちゃんと正しい定義を口頭で述べることが出来ること。「ケーリーハミルトンの定理」「平均値の定理」、「ヘンリーの法則」「飽和蒸気圧」「芳香族」。別にマニアックなもの、マイナーなものなんか後回しで良いんだ。

こういう段階まで何とかよじ登っておかないと(これは自力でこなせるものだし、自力でこなすべきものだ)、どんなにいい問題集を解いても、どんなにいい授業を受けても、まるで意味がない。塾なり予備校なりの講義でこの基礎固めを期待しているようでは話にならない。もちろん、基礎固めを謳う講義もあるのだが、原理的にどう考えても「全然授業時間が足らない」はずであるし、各自のペースが異なることを考えればこのような基礎固めを授業料の高い集団教育に期待するのは非効率的であり、結局は気休めでしかないと断言する。

理想的には、この基礎固めは授業時間に余裕のある高校の授業を活用するのが賢いだろう。どんなに有名・良質な現役塾に通っていても、高校の授業を疎かにするようでは話にならない。

続きはまた。
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ジャンル : 学校・教育

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小橋哲之

Author:小橋哲之
小橋塾塾長

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